みっくみっく、の続き。

 このところやや時間にも余裕があって、レンダリング実験を繰り返しながら、その待ち時間にテキスト進めたり。あまり大きな進展はないですけど、やや良い感じの日々かもですよ。


 で、このブログ、MIXIから余計なところを省いて、ほとんどそのまま転写してきてるんですけど、先日の機材Pさん発言をめぐるエントリが「初音ミクニュース」さんに捕捉されてしまい、いきなり500程度のヒットを浴びました(ありがとうございます)。

 うかつなことは書けないわけで、以前にISAOさん式ミクのMMDへの移植のことを書いたら、VPVP(MikuMikuDance)の公式Wikiに掲載されちゃったり。あわわ、なにやってんだか。。頑張ろう。


 で、少し機材Pさんの発言をめぐる件の続きですけど。

 別名義もあるし動画で名乗ることがないことも多いし、作風や絵柄も結構ごろごろ変える自分からすると、ぶっちゃけ言うなら、自分のオリジナリティが注目されない、といった悩みについては、実のところちっともわかっちゃいなかったりして。。私が見せたいものは作品であって私じゃないから、なあんて、イヤミな格好をつけて言えるなら。

 これはたぶん、私が絵師や楽曲製作者ではなくて、動画職人だからで。素材を応用して加工する動画職人だから。MAD屋気風とでも言うのかな。絵や素材は描いたり製作するとしても、音楽は基本的に借りる立場ですからね。


 たとえばギャルゲ/エロゲのキャラ絵が、原画家だけでなく彩色や線画クリア作業といった外注さん達の協力で成り立っているように、音楽だってスタジオミュージシャンやミキシング作業の協力で成り立っているように、「オリジナリティを主張しない」クリエイタというのは数多いはず。

 そしてCGMというのは、そうした二次クリエイションがここでは前面に出ることのできる、楽しい遊び場だ、という感覚が自分のなかにはあるわけですけど。

 私がとてつもなく今回の議論に関して違和感を感じたのはその部分で、どうしてみんな、第一次的クリエイションの立場から議論をしているのだろう、という。クリエイティブか否か、を問うのは創作の常だとしても、オリジナリティか否か、がここで第一に問われるというのは、どうにも背中がむずむずするのです。

 勿論、楽曲を借りる側とすれば、楽曲製作者に最大限の尊敬とそして憧憬すら抱いているんですけれど、しかし、たとえば楽曲製作者ではない、私のような立場から、二次屋だと自覚している側からの声がもっとあってもいいんじゃないかなあ。

 漫画のアシスタントやゲーム彩色での下積みが、実績としてデビューへと道を開くことがあるのと同じで、CGMでの活動がデビューに繋がる道になったりすることもあります。けれども、そこでの作品自体は第一次的なオリジナルじゃない、そんなのあまりにも当たり前のことじゃ、ないのかいな?


 でも、昨今のCGM革命とやらは、ここで直接に私だけのオリジナリティというか、自分というものを充全に展開できるもの、として謳われておりますよね。これまで、プロフェッショナルな立場でしか利用することができなかった、高度な彩色や編集やミキシングの技術は、PCで代替することが可能になった。つまり、二次クリエイションまで自分一人の手で行うことが可能になった、ということなのですけれど。ついでに、配布も、ネットや同人流通の成熟によって個人で可能な部分が大きくなりましたね。

 つまり、二次クリエイションの立場はますます消されていく、それが昨今のCGM革命だというわけですけど。

 私が今回の機材Pさん発言をめぐる議論で何を感じたかと言えば、これは一抹の寂しさ、というやつで、いってみれば二次屋の立場もわかって欲しいよ、みたいなやや甘えた感想だったりもするわけですけれど。


 漫画のプロアシさんの立場から眺めたら、とか、彩色外注の立場で眺めたら、とかそういった気分でいまのボカロを眺めております。