みっくみっく(とある波紋について)

 ボカロ界隈の末端に連なる者の一人として、機材Pさんの発言には少なからず悶々としたものを感じていたのですが。

 カルチャー イズ デッド!!!
 http://blog.livedoor.jp/meitanntei4044/archives/860046.html

 外野にあれこれ言われるのは別にいいんだけれども、Pからミク萌えきめえwwwと言われちゃうとやっぱキツイなあ、ってか、ギョッとする。

 機材Pミク発言について
 http://d.hatena.ne.jp/chukuu/20090404#1238775213
 初音ミクを殺してはならない
 http://d.hatena.ne.jp/chroju/20090405/1238943947
 機材な人とかあれとかそれ
 http://kotobanotobira.blog41.fc2.com/blog-entry-136.html

 この発言をめぐってあれこれ波紋が広がったわけですけど、一部ではボカロはフラ板末期のようだ、などと言われちゃったりして。うはwwwおまwww余計なwこ、と、をwwwwwwwww。このうち、自分が一番納得した、凄く腑に落ちる、と思ったのは下の記事。

 初音ミクはすでに「アーティスト」である
 http://blogs.itmedia.co.jp/closebox/2009/04/post-134e.html

 >そう。バンドではよくあること。誰が悪いというのではなくて、そういうものなのです。

 こう言われるとほんとうにストンと納得できる。なるほどなあ。


 だけれども、これによって改めて機材Pさんや一部のPさん達が抱えている苦悩、のようなものが理解できたかも。絵師に例えるなら、アンソロ本でしかお声がかからない駆け出し絵師や漫画家の苦悩のようなもんか。もうちょっと身近に例えるなら、版権絵でしかヒット数が伸びないPixiv絵師の苦悩とか。

 で、出版側では、ヒットアニメやラノベの漫画化やアンソロ本を乱発して、同人作家達を安価に青田刈りして使い捨てに近い描かせ方をしていく、そんな状況が一方であったりするわけですけど、果たしてこれが漫画界にとって良い進歩をもたらすものなのか?なんてことを考えると、首を捻ってしまうようなところもあるなあ。などなど、そんな話に似ているかな。

 >これ、流通とかの面では凄い革命が起こってるんだけど
 >音楽という娯楽が商業的にも文化的にも前に進む為には何一つ利益は無いと思ってる。

 萌え厨きめえwwwといった単なる感情的な次元を越えた問題を、機材Pさんの発言は突いていることがわかるわけですけど、彼が最も苛立っているのはコミュニケーション要求の優勢という問題でありますね。

 >でも結構みんなコミュニティーを作りたがる。
 >最初はそういうもんかなと思ってたけど無理wwwキモイwww

 コミュニティという言葉で書かれてますけど、これはピアプロにゃっぽんといったコミュニティの在り方の問題ではなくて、たとえばニコ動ではコメントがあるから動画は楽しい。逆に、コメントの少ない動画は見る気がしないよね、といったような話ですな。観客は舞台を見に来てるんじゃないんだよ、煎餅食ってみんなで駄弁るのが楽しくって観に来てるんだよ、ってなお話でありますね。

 製作者なら一度は考えてみたことがあるだろう話で、自己表現か二番煎じのウケ狙いか、またはアートか消費か、みたいなことですけど、そんな苛立ちがPさん達のなかにあるんだなあ、ってことに改めて気づく。聴く側として。


 そして、思うより楽曲製作者を奉仕者というか、名もなき大道芸人的なものと見ていた自分に気づいてしまう。あれこれの製作で楽曲製作者との交流もあって、Muzieなどには比較的良く飛ぶほうだと自分では思ってたんですけど、確かに、あらためて振り返ればボカロを通じて知った楽曲者の、ボカロ以外の楽曲を探す機会なんて滅多にないなあ。。

 それは、もう一つ、ボカロが単なる二次創作ではなくて、「ボカ廃」と呼ばれる人達や「ボカ耳」を生むほどに強烈な磁力を持った「歌声」の世界なんだということにも大きな理由があって。慣れてしまうと、もうそれ以外の歌声は別のジャンルのもの、もっと調声を、もっとボカロの魅力を、な中毒に落ちてしまうところが間違いなくあるわけで。

 聴く側は楽曲者の音楽性を見ていないわけではないのですが。恐ろしいかな、楽曲製作者のオリジナル楽曲への注目を阻害するのは、ボカロというものの存在そのもの、それが発する離れがたい強烈な磁力なのですな。だからこそ先鋭的な人達が集まってきてもいると思うわけですけど、萌え絵に慣れると、三次元はもう目に入らないとか、たとえるならそんな話に似ているかも。

 >機材Pの言い方は、「ミク萌えのみ」層と「ミク市場期待」層を一緒にしちゃった点が問題。
 >ミク市場に期待している層っていうのは、ボカロっていうツールが今一番作り手側の集まる
 >最先端の市場である事を理解している人達で成り立ってるよ。


 >なぜそういうことになるか。
 >結局は「受信側にとって楽だから」なんだと思っています。
 >そういう浮動票のような人達が簡単に手を伸ばせるところにあった。
 >ボーカロイドのソフトとしての勝因は、実際のところそこにあるのだと思います。

 こうしてつらつらと考えていくと、冷静になってみれば、機材Pの発言に反応したこれら各地のブログでの議論も、実のところ機材P発言の本質的な部分にはあまり応えていないことにも気づいてしまう。

 少なくとも、ボカロのブームと、ニコ動の現在のあり方が続く限り、ボカロが注目層を引き集め続け、それがラクであるという状況が変わらず続いていく限り、楽曲者オリジナルの音楽が注目されるという未来はやってこないという結論が出てしまう。というより、実際にオリジナル曲への注目に、ボカロ曲のヒットが繋がってないという実感が多分、先にリアルなものとしてあるわけで。じゃあ、どうするんだ?具体的にどうすんだ?ってな問いには誰も答えられない。、

 そもそも、ボカロ曲のヒットがオリジナル曲への注目に繋がらないなら、じゃあ別にオリジナル曲で当たるを地道に頑張っても結果は変わらない、それじゃあ、いったい俺ら、ニコ動で何やってんだ、そうした苛立ちが出てくるのもむべなるかな。

 
 萌え絵趨勢の世を儚むリアル系の絵師、といったたとえあたりが相応しいかもしれないですね。恐らく、ボカロのブームが終わっても、世界のネジはもとには巻き戻らない。逆に、機材Pさんが指摘したことが、これからますます進行するだろう、ということだけは議論を見ていてわかるわけですけど、踊るしかない、そんなところでありますかね。