ワナビ

 僕が思うに、「その人にしか創れないもの」というのは一人一人必ずあって、
 それには多くの人に感銘を与える力がある。ケータイ小説のみならず、同人誌や同人ゲーム、
 WEB小説、それにニコニコ動画やpixivに投稿されているような作品群を含めてもいい。
 −そういったアマチュア作品全般には、作者固有の「創りたいもの」が、剥き出しのまま
 転がっていることが多い。商業作品として研磨されると消滅してしまう類の面白さが
 そのまま残されている。まさしくケータイ小説のように、アマチュア的な良さが
 活かされた商品を創ろう−そういうビジネスモデルが成り立っていることこそが、
 ときにアマチュアがプロを凌駕しうることの証明ではないでしょうか。


 『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』(伏見つかさ)第三巻、のたうちまわって笑い転げるほど面白かったですw今回は桐乃がケータイ小説を書くお話なんですけど、


 携帯小説サイト管理人 「どれも同じ内容でヒドい」
 http://news.ameba.jp/2007/08/6416.php
 >はっきり言って『小説』なんて言葉で呼ぶのもおこがましいほどヒドいものばかりですよ。
 >援助交際、ホスト、主人公の死、とかどれもこれも同じような内容で馬鹿馬鹿しくて
 >読む気にもなれません。だからランキングの高い順に書籍化しているだけですよ。


 をそのまま地でいくような底意地悪いパロディ満載なお話でありました。ケータイ小説への悪意が滲み出てる、滲み出てるっw

 で、冒頭に掲げたのは編集者の台詞なんですけど、それで締めて、フォローなんですが。。フォローになってるのかな?これ?w


 ところで、改めてなんですけど、ケータイ小説に対比されるものって、そうだ、ギャルゲ/エロゲなんだなあとつくづく思いましたです。

 ・(ユーザーの立場からすれば)相手をとっかえひっかえしているのに、純愛。
 ・すぐに死んだり事故起こしたり、奇跡が起こったり。
 ・文章が基本的に頭悪い。

 ケータイ小説に対する批判は、ことごとく一般的にいうところのギャルゲ/エロゲ像にも当てはまってしまう。

 男オタに向いているか、女スィーツに向いているかの違いじゃないか、という。

 といって、別にケータイ小説やギャルゲ/エロゲを馬鹿にしてるわけじゃありんせん。全てが上の批判点に当てはまるものじゃないは当然の上、面白いものは面白い、以外の何物でもないですからね。

 ギャルゲ/エロゲやケータイ小説は、粗筋だけを聞いてもその面白さはまるでわからない。

 ギャルゲ/エロゲは一本をクリアするのに数十時間を要します。映画に換算するなら十数本、読書に置き換えても十数冊を読破する経験に匹敵するわけで、それだけ長時間を、かつ周到に萌えたり心くすぐられたりを計算された作品世界やヒロインとともに過ごしていたら、俺の嫁だと叫び出す人々が出てきたりするのは当たり前。

 換言するなら、そうした集中的なメディア体験自体が面白さや感動の、ぶっちゃけ基本的な秘訣です。ある意味洗脳に近い体験だと言ってもいいわけですけど、勿論、それを支えるだけの絵、彩色、音楽、演出などなどが注ぎ込まれた統合的な結果ですけれどもね。

 ケータイ小説も、ケータイで読まなきゃ面白さが半減する。

 というのは、ほんとの話。出版なんかするから、粗がはっきりと見えてしまうわけで、ケータイで長時間を要して画面に没入する経験を伴ってはじめてケータイ小説ってほんとに面白い。


 同じように、CGMが面白いのは、たとえばニコ動やネットや、同人イベントの場だからだ、ということも言えてしまうわけで、メディアの特性抜きには語れないところがあります。

 で、こうした特性を掌握し操作し編集できるだけの技術を持った人々、のことをプロと言うのかなあ。『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』でいうなら、上記の台詞を語る編集者こそがプロなのでありますね。

 ギャルゲ/エロゲには、長時間の体験を支える絵、彩色、音楽、演出、スクリプトの技術がありますし、そもそもPCを発展させてきた技術者たちの恩恵の上にはじめて成り立っているメディアなのであります。ケータイ小説の場合も同じこと。

 アマチュア作品群のデビューの陰には、それを支えるプロフェッショナルな技術があわるわけで、アマチュアはその点ではプロを凌駕しない。

 アマチュアとプロの違いって、面白さじゃないお。それから、技術のあるなし、というのでもなくて。メディアというものに対する関わり方の違い、みたいなものかなあ、なんてことを考えてみたりする。